優等生

聖書に、「放蕩息子」のたとえ話がでてきます。2人息子の問題児の弟が、父の遺産を使い果たし、家族に不名誉をもたらしたにも関わらず、父はそんな彼を赦し、快く迎え入れるというお話です。とても美しいあがないのストーリーです。神様がどれだけ計り知れない恵みと哀れみを私たちにもってくれているかを教えてくれます。

 

さて、その同じ話のなかに、この弟の兄も少し登場します。この兄は、いわゆる優等生。働き者で父の言いつけもきちんと守ってきた人でした。でも、ある日父が家族に恥をかかせた弟のためにパーティーを開いているのを見てカチンと頭にきました。「そんなパーティー自分には一度もしてくれたことなんてないじゃないか。不公平だ、こんなのおかしい!」自分の頑張りは軽くあしらわれた気持ちになり、父の優しさや寛大さ、恵みや哀れみが逆に腹立たしく思えたのかもしれません。

 

もしかしたら、みなさんのなかにはそんな兄の姿に自分自身を重ねる人もいるかもしれません。見た目はきっちりしてるのに、心の中は恐れや怒りであふれてしまっているでしょうか。

 

神様は問題児の弟に対して見せた同じ優しさを「優等生」のあなたにも向けてくれています。軽くあしらわれることはない。忘れられてることもない。見過ごされてることも決してない。神様はあなたを見て、あなたのそばにいて、神様がすでに良いものを与えてくれているんです。そしてそれをあなたご自身が受け取ってくれるのをじっと待ってくれています。あなたが神様を改めて心に受け入れるかどうか。つまりあなた次第なんです。