「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」ヨハネの福音書 3:16
神の創造物
デザインと目的
神様はこの世界を、目的を持って創造しました。はじめは、この世界が素晴らしい調和を持って完璧なものになるように作りました。そして同時に私たちを創造しました。それは、神を知るように、神と楽しむように、神を敬って生きるようになるためです。
私たちの傷
罪
この世界は傷ついています。戦争、貧困、暴力、裏切り、悪行など、どれほどこの世がが傷をおっているのかが分かります。そして人間もまた、みんな心に傷を負っているのです。許せない心、壊れた家族、ヒビの入った関係、間違った愛の捉え方。しかし、こういった傷は全て、たった1つの事が原因なのです。それは、神との傷ついた関係のままの人生を歩んでしまっているという事です。
その答え
イエス・キリスト
私たちには、助けが必要でした。なぜなら、私たちはもう傷だらけになり、私たち自身で神との関係を修復することは不可能だったからです。そんな私たちに、神様はたった1人の息子をこの世に送ってくださいました。なんの傷もないその一人子は、私たちの恥や傷、罪を取り除き、またその命を通して、私たちが神のもとに戻り、神とまた繋がれるようにしてくださいました。だから私たちは今、その一人子を通して、神を知り、神と楽しみ、神とともに生きることができるのです。
神ははじめに全てのものを良いものとして造られました。でもサタンと呼ばれる悪がアダムとエバを騙し、神が食べてはいけないといった木の実を食べた時から、罪と死、呪いが入りました。 完全に聖であり義なる神は、罪と交わることはありません。罪を裁く方です。 罪を犯した人は罰せられなければならないというのは、皆理解できると思います。 しかし、神は人が滅びるのを望みませんでした。 「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。 」 ヨハネによる福音書 3:16 そのため、約2000年前に、神であるイエスが人間の姿をとってこの地に来られ、全ての人の罪を背負って十字架にかかり死なれました。死んで終わりなら意味がありません。イエスは復活されました。 だから、「イエスが私のために十字架にかかった」と信じる人は、もう罰を受ける必要がないだけでなく、聖霊と共にこの地上の人生も生きることができます。人は生まれる前から、お母さんの体内に形作られる前から1日もないうちに計画が立てられると書いてあります。人生の意味を受け取り、神と共に生きる喜びがあります。
悪は人々をキリストから引き離そうとします。 しかし、アメリカの犯罪率の高さは、地理的、文化的、教育的、経済的、人種的問題によるところが大きいでしょう。日本とは、このような違いが多くあるので、比較はできません。 クリスチャン=善人ではありません。しかし、神は愛であり、私たちはその愛を受け、神を愛し、人を愛するように命じられているので、それに従って生きようとする人が増えれば増えるほど、そこに愛は広がっていきます。 事実、治安ランキング上位の国の多くはキリスト教国です。 「身を慎んで目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています。」ペトロの手紙一 5:8 新共同訳